柳 屋

宿の説明


 武田信玄の頃、湯村温泉は温泉地として、温泉宿などがあって繁昌していたわけではありません。しかし、湯治が治療休養につながることで、戦に傷ついた人などをここで治療休養させたことから「信玄の隠し湯」などと呼ばれるようになったのでしょう。土地の人の諸税諸役を免除して湯小屋を作らせ、管理させていたということです。「志麻の庄の湯」「志麻の湯」「島の湯」「湯」などと呼ばれていた湯村でした。

 新田次郎著「武田信玄」では、信玄がここ「志磨の湯」で労咳(肺結核)を癒すことを家臣から強くすすめられて、再三逗留しています。その間、母大井夫人の目をかすめてつつじヶ崎の館に湖衣姫を訪れたり、太郎義信との駿河攻略のもめごとなど、これは「志磨の湯の変」で面白く描かれています。その湯村温泉の真ん中に、白いお蔵造りの建物が、広い庭を囲んで光っています。今に伝わる露天風呂はここが、甲府市内であることを、忘れさせてくれます。